編集長コラム18

#編集長コラム18 ホスピタリティーが、スタジアムを変える。 日本に足りないのは、「VIP席」ではない。スポーツとホテルをつなぐ成長市場

聖地 甲子園。
兵庫県出身で、幼い頃から阪神タイガースとともに育った私にとって、甲子園は特別な場所である。もちろん今年も、リーグ優勝、そして日本一を心から願っている。

先日、縁あって阪神甲子園球場のロイヤルスイートで野球を観戦する機会に恵まれた。
冷えたアサヒビールを片手に、試合と会話を肴に何杯も酌み交わす。心から楽しかった。

ロイヤルスイートでは、「ここはホームランの軌道が一番美しく見える席です」と教えていただいた。

打球が放たれれば、その放物線を真正面から眺められるという。

残念ながらその日は阪神打線から快音が響くことはなかった。
それでも、冷えたビールと心地よい空間で過ごした時間は、私にとって忘れられない体験となった。

快適な空間で食事を楽しみながら試合を見る。周囲を気にせず会話ができ、試合が始まればグラウンドへ視線を向ける。
会食だけでは生まれない一体感が、そこにはあった。

私はその空間で、ビールを飲み、野球を見ながら一つのことを考えていた。
いや、ここは「観戦席」なのだろうか。
むしろ、企業と企業、人と人との関係を深めるためにつくられた、特別なホスピタリティー空間ではないか、と。

スポーツ庁は近年、「スポーツホスピタリティー」の普及を本格的に推進している。
つまり日本でも、スポーツを「チケット販売」から、「体験価値を提供する産業」へ変えようという動きが始まっている。
しかし、海外と比べれば、日本の市場はまだ発展途上である。
日本のスタジアムやアリーナの多くは、できるだけ多くの人に、できるだけ公平に観戦機会を提供するという思想でつくられてきた。
その考え方自体は間違っていない。
一方で、専用の入場口や駐車場、個室、ラウンジ、厨房、サービススタッフまでを一体的に設計し、企業接待や商談、顧客との関係づくりに使える空間は、決して多くない。

日本に足りないのは、高価な椅子ではない。

「誰を、どのようにもてなし、どんな価値を生み出すのか」という構想力なのである。
東京ドームでは法人向けスイートが高い人気を誇り、長崎スタジアムシティではホテル客室とVIP観戦を融合させた新しい取り組みが始まっている。

一方、海外ではスーパーボウルやFIFAワールドカップ、F1などにおいて、VIPスイートは数千万円から数億円規模で販売される重要なビジネスとなっている。

そこで売られているのは「席」ではない。
ビジネスを生み、人と人をつなぎ、忘れられない時間を共有する「体験」である。

ここで私は、一つ確信した。
ホテルの未来は、ホテルの建物の中だけでは完結しない。
今回私が利用した甲子園球場のロイヤルスイートも、その運営には阪急阪神ホテルズが培ってきたホスピタリティーが生かされている。
また、横浜スタジアムでは、個室観覧席「NISSAN STAR SUITES」において、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズのスタッフがサービスを提供している。

これは偶然ではない。
スタジアムがホテルになろうとしているのではない。
ホテルが長年磨き続けてきたホスピタリティーこそが、スポーツビジネスの価値を高める強力な武器になっているのである。

ホテルはこれまで、客室、宴会場、レストランを、それぞれ別の商品として販売してきた。
しかし富裕層や企業が本当に求めているものは、豪華な部屋だけではない。

重要な顧客と自然に会話できること。
共通の感動を味わえること。
記憶に残る時間を共有できること。
そして、その時間を通じて関係が一歩深まることである。

スポーツ、音楽、演劇、モータースポーツ、ゴルフ、さらには地域の祭りや文化イベント。
そこにホテルの料理、サービス、コンシェルジュ、送迎、宿泊を組み合わせれば、日本にはまだ数多くの高付加価値商品をつくれる余地がある。

実際、その流れはすでに始まっている。
北海道のエスコンフィールドHOKKAIDOは、球場を中心にホテルや温浴施設、レストランを一体開発し、「観戦する場所」から「滞在する場所」へと進化させた。

さらに今年7月に開業したPGM沖縄では、ゴルフだけではなく、ホテル、レストラン、ウエルネスを融合した新しいリゾートの価値づくりが始まっている。

競技を目的に訪れるのではない。
その場所で過ごす時間そのものを目的に訪れる。
スポーツとホテルの境界は、これからますます薄れていくだろう。

ホテルがスタジアムへケータリングを提供する。
試合前にホテルでレセプションを開く。
試合後には選手や関係者を招いた特別なディナーを開催する。
VIPゲストの宿泊、移動、観戦、食事を一人のコンシェルジュが一貫して支える。
非試合日にはスイートを役員会議や新商品発表会、顧客イベントやライブ会場として活用する。
そうなれば、スタジアムは年間数十日の興行施設ではなく、365日価値を生み出すMICE拠点へと進化していく。

これはホテル経営にも共通する。
スイートルームや高価格帯の商品が十分な利益を生み出すからこそ、人材へ投資し、サービス品質を高め、地域へ価値を還元できる。

ラグジュアリーとは、一部の人だけを豪華にもてなすことではない。
高い価値を生み、その価値を産業全体へ循環させる仕組みである。
甲子園のロイヤルスイートで私が感じたのは、座席の快適さだけではなかった。
野球という共通体験が、普段の会食では生まれない会話を生み、人と人との距離を縮めていく力だった。

日本には、世界に誇れるスポーツがある。
世界に誇れる食がある。
世界に誇れるホテルがある。
そして世界に誇れるホスピタリティーがある。
足りないのは、それらを一つの体験として束ね、正当な価値として販売する構想力である。

日本に必要なのは、VIP席を増やすことではない。
人と人との関係を深める「舞台」を増やすことである。
そして、その舞台をつくる中心に立つべき産業こそ、ホテル・ホスピタリティー産業であると確信している。

ホテルの未来は、ホテルの中だけにあるのではない。
ホテルが長年磨いてきたホスピタリティーは、スタジアムにも、アリーナにも、劇場にも、空港にも、ゴルフリゾートにも、そして街そのものにも価値を生み出す。
スポーツ施設がホテルに近づいているのではない。
ホテルという産業が、スポーツをはじめとするさまざまな体験価値の中心へ広がり始めているのである。

そして、その未来をつくるのは建物ではない。
人をもてなし、人と人をつなぐ。
ホスピタリティーそのものなのである。

次こそは、このロイヤルスイートでアサヒビールを酌み交わしながら、我が阪神タイガースの美しいホームランの放物線を見たい。

そして、その一打がリーグ優勝、さらには日本一へ近づく瞬間になることを、阪神ファンの一人として心から願っている。

HOTERESのHはHanshin TigersのHなのだ。

今月は東京ドーム、そして9月は開業したばかりのゴルフリゾートPGM沖縄を訪問する予定です。

スタジアムとホテル、ゴルフとホテル。
スポーツとホスピタリティーが融合する最前線も、この目で見て、皆さまへお届けしていきます。

ホテレス編集長 義田真平