
最近、「悪いホテル」がずいぶん減ったと思う。
ベッドは快適になった。Wi-Fiは当たり前につながる。朝食も一定以上おいしい。接客も整い、客室には必要なものが過不足なくそろっている。
新しく開業するホテルを訪れれば、建築は美しく、アートが飾られ、バーがあり、フィットネスがあり、サウナがあり、プールがある。
日本のホテル全体のレベルが上がったことは間違いない。
でも、その一方で思うことがある。
「変なホテル」が減ってしまった。
もちろん、悪い意味ではない。
妙に料理へのこだわりが強いホテル。
総支配人の思想が館内の至るところから伝わってくるホテル。
地元の人しか知らなかった文化を、本気で掘り起こしているホテル。
バーだけ異常なほど本格的なホテル。
建築家の思想が強すぎて、少し使いにくいホテル。
「なぜ、ここまでやるのだろう」と思わず笑ってしまうくらい、一つのことに執着しているホテル。
そんなホテルである。
そして不思議なことに、私が何年経っても覚えているのは、案外そういうホテルだったりする。
逆に、すべてが80点以上なのに、帰って数日すると何も思い出せないホテルもある。
なぜなのだろう。
最近、その理由が少し分かってきた。
ホテルが、「嫌われないこと」を意識しすぎているのではないか。
口コミの点数がある。SNSがある。ブランドスタンダードがある。本社のガイドラインがある。コンプライアンスがある。
もちろん、どれも必要なものだ。
しかし、それらを意識するあまり、少し尖ったものがあると丸くする。少し癖のあるものがあると直す。誰かから苦情が出そうなら、最初からやめておく。
そうやって一つずつ角を削っていけば、確かに「失敗しないホテル」はできる。
しかし同時に、「ここでなければならない理由」まで削ってはいないだろうか。
これはホテルそのものだけの話ではない。
業界誌の仕事をしていると、取材後にホテル側へ原稿確認をお願いすることがある。
事実関係の確認は当然必要である。数字や固有名詞、誤解を招く表現を正すことも大切だ。私たちに間違いがあれば、当然直す。
しかし、ときどき驚くほど細かく「校正」されて戻ってくる原稿がある。
取材の場では、その人自身の経験から出てきた、とてもいい言葉があった。
悩んだ話。
失敗した話。
現場で感じている課題。
これから変えたいこと。
その人だからこそ言える、少し尖った言葉。
ところが確認を重ねるうちに、それが少しずつ削られていく。
「この表現は強すぎるので変更してください」
「この部分は削除してください」
「こちらの表現に統一してください」
そして最終的に出来上がった文章を読む。
間違ってはいない。
実に正しい。
でも、面白くない。
もっと言えば、
「これ、誰が話しても同じではないか」
と思うことすらある。
校正とは、間違いを直すためにするものであって、個性を消すためにするものではない。
私は、ここに今のホテル業界が抱える一つの問題が表れているように思う。
正しくしよう。
間違えないようにしよう。
クレームが起きないようにしよう。
ブランドから外れないようにしよう。
そうやってホテルそのものまで校正を重ね続けた結果、そのホテルにしかなかった「声」まで消してしまう。
ラグジュアリーだからアートを置く。
ライフスタイルホテルだからDJを入れる。
リゾートだからインフィニティープールをつくる。
ウェルネスだからサウナをつくる。
地域共生だから地元の食材を使う。
一つ一つは正しい。
でも、それらを組み合わせただけで、本当にそのホテルの個性になるのだろうか。
私自身、考えてみれば「偏愛」しているものがいくつもある。
靴が好き。メガネも好き。
サンボアの少し濃いハイボールが好き。リーチバーのあの独特の雰囲気も好き。パレスホテルのマティーニも好き。
もっと飲みやすいハイボールはあるかもしれない。
もっと新しく、もっと華やかなバーもあるだろう。
でも、そういう話ではない。
「あれがいい」のだ。
一見すると私の好きなものはバラバラなのだが、最近になって、その共通点が少し分かってきた。
私はたぶん、「クラフトマンシップ」が好きなのだ。
誰がつくったのか。
なぜ、この形なのか。
なぜ、この素材なのか。
なぜ、この味なのか。
なぜ、この空気なのか。
そこに、どんな思想があるのか。
完成したモノだけではなく、その後ろにいる「人」が見えるものに惹かれる。
最近ではピックルボールにもすっかりハマっている。
そして何より、子供の頃から阪神タイガースが好きである。
阪神ファンというものは、合理性だけではなかなか説明できない。
勝ったから好きになるわけではない。
負けたから嫌いになるわけでもない。
思い通りにならない時間まで含めて好きだったりする。
結局、「好きだから、好き」なのである。
偏愛とは、そういうものなのだと思う。
そして考えてみれば、ホテルだって同じではないだろうか。
建物の向こうに、つくった人が見える。
料理の向こうに、料理人が見える。
一杯のカクテルの向こうに、バーテンダーが見える。
サービスの向こうに、そのホテルが大切にしているものが見える。
「なぜ、このホテルはこうなのか」
その問いに、ちゃんと答えがある。
そんなホテルには、必ず少し癖がある。
そして、その癖が誰かの偏愛になる。
「もっと新しいホテルがありますよ」
「もっと便利なホテルがありますよ」
「もっと豪華なホテルがありますよ」
「もっと安いホテルがありますよ」
そう言われても、
「いや、私はあそこがいい」
と言ってもらえるホテル。
私は、それこそが本当のブランドの強さなのだと思う。
ブランドとは、万人に好かれることではない。
誰かに偏愛される理由をつくることなのだ。
だから、少しくらい「嫌われる理由」があってもいい。
静かすぎる。
料理にこだわりすぎている。
子供向けではない。
アクセスが少し不便だ。
サービスに独特の距離感がある。
価格が高い。
そんな理由で「私はあまり好きではない」と言う人がいてもいい。
その横で、「だから私は、このホテルが好きなんです」
と言う人がいるのであれば、それは立派なブランドである。
もちろん、これは少し怖い。
経営者にも、総支配人にも勇気がいる。
100人全員から80点をもらう方が、経営として安心できるように見える。
しかし、これだけホテルが増え、世界中のブランドが日本へ入ってくる時代に、80点のホテルが並んだらどうなるだろう。
最後は価格で比較される。
新しさで比較される。
立地で比較される。
ポイントで比較される。
それではブランドとは呼べない。
私は「いいホテルって、何だろう」とよく考える。
以前なら、サービス、料理、建築、人、価格とのバランスなど、いろいろな条件を挙げていたと思う。
でも最近は、少し違う。
私は、いいホテルには「癖」があると思っている。
そのホテルをつくった人たちの思想が、隠しきれずにどこかから漏れ出している。
料理から。
空間から。
サービスから。
音楽から。
スタッフの言葉から。
ときには、総支配人のキャラクターから。
だから、全員には好かれない。
それでいい。
そして私は、業界誌も同じだと思っている。
すべてのホテルから好かれる記事を書こうとは思わない。
ホテル会社にも、広告主にも、読者にも、耳の痛いことを書くことがある。
もちろん、事実を間違えてはいけない。誰かを不当に傷つけてもいけない。
しかし、誰からも何も言われないように言葉を校正し続けたら、業界誌が存在する意味そのものがなくなる。
ホテルも、メディアも、最後に残るのは思想である。
誰がつくったのか。
何を信じているのか。
何だけは譲らないのか。
そこに人が見えるから、誰かが好きになる。
誰かの偏愛が、別の誰かの偏愛を生む。
私は、きれいに校正されたホテルより、少しくらい癖のあるホテルが好きだ。
つくった人の顔が見えるホテルが好きだ。
万人に80点をもらうホテルではなく、「私はこのホテルが、どうしようもなく好きだ」
と言ってくれる人がいるホテル。
少しくらい癖があっていい。
少しくらい尖っていていい。
そして、ときには誰かから「私は好きじゃない」と言われてもいい。
その角を、簡単に削らないでほしい。
ホテルまで、校正しすぎなくていい。
きれいに整えられた文章より、その人にしか書けない文章の方が面白い。
ホテルだって、きっと同じである。
HOTERES編集長
義田 真平
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