400人超が祝福。それでも、福田氏が語ったのは「自分の功績」ではなかった

会場では、2001年のセルリアンタワー東急ホテル開業以来、福田氏が25年にわたりホテルの「食」を牽引してきた歩みが紹介された。「東急ホテルの歴史は、福田さんがつくった食の歴史でもあったのではないか」との言葉とともに、厨房を率いるだけでなく、食の総合プロデューサーとしてグループ全体を牽引し、後進育成や食育、国際交流にも力を注いできた実績がたたえられた。
それに対し、福田氏自身が壇上でまず口にしたのは、生産者、流通に携わる人々、料理を楽しむゲスト、そして「東急グループのチーム力」への感謝だった。今回の栄誉は、多くの人に支えられて得たものだという。
自らの技術や功績よりも、周囲への感謝を先に語る。その姿勢は、この日の会全体を貫くテーマにもなっていた。
「おいしい料理をつくる」だけで、料理人の仕事は終わるのか

福田氏が繰り返し語ったのが、「食とは命をいただくこと、食とは命を紡ぐこと」という考え方だ。肉や魚、野菜、さらには料理を彩る小さな花に至るまで、料理人が扱うものは自然の中で育まれたもの。その背景にある命と自然への感謝が、料理の出発点になると語った。
これは単なる精神論ではない。生産者の思いを料理人が受け取り、料理へと変え、サービススタッフがゲストへ届ける。そして食べた人の笑顔へつながる。福田氏が言う「命を紡ぐ」とは、食材だけでなく、人の思いや仕事をつないでいくことでもある。
ホテル経営において、原価率、人件費、宴会売上、オペレーション効率といった指標は欠かせない。一方で、料理を「商品」、料理人を「人的リソース」、レストランを「収益部門」としてだけ捉えれば、そのホテルならではの食文化や技術が継承されにくくなる可能性もある。
福田氏の言葉から浮かぶのは、料理人の仕事を「何をつくったか」だけでなく、「誰の思いを受け取り、誰へ渡し、何を次の世代へ残すのか」まで含めて捉える視点だ。
食文化を残すのは、スターシェフ一人ではなく「人の連鎖」
この日、その考え方を象徴したのが、全国から集まった31人の料理長だった。福田氏は、開業以来ともに働いてきた料理人たちを「同志」と呼び、自身の仕事について「基本的には歩兵戦」と表現した。自ら現場に立ち、人と向き合いながら積み上げていくことを、リーダーとしての基本にしてきたという。
ホテルにおいて、著名な料理人がブランドを牽引することは珍しくない。しかし、個人の評価が高まることと、ホテルとして技術や思想が受け継がれることは別の課題である。
全国から31人の料理長が集まり、それぞれが料理を担った光景は、福田氏が残そうとしているものが一皿の再現ではなく、その背景にある考え方や技術を引き継ぐ「人」であることを印象づけた。
食文化を継承するには、技術を渡す人、受け取る人、そして若手に挑戦する機会を与える組織が必要になる。2001年の開業から25年。福田氏が築いてきたのは、料理そのものと同時に、人から人へとつながる育成の土台でもあった。
料理人が「ここで育ちたい」と思えるホテルをつくれるか
乾杯の発声では、福田氏が長年にわたり学生の育成に携わり、「福田ムッシュのようになりたい」と憧れる学生が多いことも紹介された。また、長年の経験を後輩へ惜しみなく伝え、食を通じた人材育成に力を注いできた歩みも改めて語られた。
人手不足を背景に、ホテル業界では採用手法、待遇改善、外国人材、DX、省人化などが議論されている。いずれも重要である。だが、採用した人材が成長し、長く働きたいと思える環境をどうつくるかは、別の課題として残る。
その職場に「この人のようになりたい」と思える先輩がいるか。先輩が自らの技術や経験を次の世代へ手渡す仕組みがあるか。採用だけでなく、育成と継承まで含めて考えることが、ホテルの食を持続させる条件になる。
福田氏は「食への感謝や技術、真心を次世代へつないでいく。人と人とのつながりをつないでいく」と語った。黄綬褒章は、長年の仕事に対する大きな評価である。一方、この日の言葉が向いていたのは、受章という到達点より、その先の継承だった。
一皿の料理は、食べればなくなる。技術や思想も、個人の中にとどまれば、いつか途切れる。しかし、人へ渡されたものは、さらに次の世代へ受け継がれていく。
ホテルの食を、次の25年へどう残すのか。
福田氏が400人を超える参加者を前に語ったのは、過去の成功談というより、これからのホテル業界が向き合うべき「継承」の課題だった。
松島基機